2010年12月31日金曜日

2010年の終わり

2010年も様々なできごとがあった。12月半ば以降の出来事は時間が無くて下書きが溜まっている。来年時間のあるときにゆっくり思い起こしながら書き留めていこうと思う。

自分を甘やかしたり、ぬるま湯につかったままでいたり、そうした中にあって努力することを忘れた人間がいかに使えなっていくかを見ていると、やるせなくなってくる。何故がんばらないのか、何故自分でやろうとしないのか、何故人に任せきりになるのか。できる人が居るからという甘やかした考え方がはびこると、組織としての何かを生み出そうとする力が大きく失われる。

そういった中でクオリティを保ち、自分に厳しく、それを常に維持するというのは通常以上に非常に多くのエネルギーが必要になる。新たなものを作るのは簡単だし、そこに依存して怠けるのも簡単だ。壊したり、廃止したりするのはややエネルギーが必要だが、水準を維持するために努力すると言うのはものすごく沢山のエネルギーと、それ以上に強い意志が必要になる。

井の中の蛙、大海を知らず。想像力の無いものにどれだけ広い世界の話をしても、想像できないから理解できない。そういう人間は往々にして抵抗勢力になる。器の小さい杯に樽酒を注ぎこむことはできない。それを受け止めるだけの着地点が無ければ、結局、飛行機も飛ばず、ただの鉄くずである。

改革や改善を叫びながら、いざ自分がその対象になると、猛烈に抵抗するのは人間の常。少なくとも組織の上に上がって行って、今のポジションに居る人は、自分が正しいと言う前提の無い世界は想像すらできない。不幸というのは、自らが不幸を生み出しているということに気付かない人が周りを不幸にしているときに最大になる。全てはどれだけ人を活用できるか、思いを受け止めることができるかにかかっている。

善意の迷惑こそ最大の不幸。

来年は、何か変えないといけないかもしれない。今年は暑かったが、ようやく寒さが肌を刺す季節になった。空が透き通って青い。

凛とした空気。高い空。白く輝く太陽が煌きの光を地上に注ぎ、年の終わりを清め、癒しの中から新たな年を迎える。それでも太陽は変わらず登り、やがて変わらず夕日となる。

大晦日に新年の大きな幸福を祈りつつ。