2010年11月7日日曜日

(11月1日-2)メドベージェフ露大統領の国後島訪問

11月1日にロシアのメドベージェフ大統領が北方領土を訪問した。メドベージェフ大統領は最近、ロシア国内での権力基盤の強化を進めている。APECによる日本への訪問が差し迫る中で、敢えて国後島を訪問したメドベージェフ大統領は、日本の菅政権が中国との尖閣諸島問題で弱腰になっていることを見透かしてのことと言える。前原外務大臣はロシアのベールィ駐日大使に申し入れを行ったようだが、効果が無いのは火を見るより明らかである。明らかに、日本国民の中露に対する印象は悪化している。

【外務省】
メドヴェージェフ露大統領の北方四島訪問を受けての前原外務大臣からベールィ駐日大使への申し入れ
平成22年11月1日
http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/22/11/1101_02.html

外務省のホームページには北方領土問題に関する特集が組まれたページがある。そこには、「1855年、日本とロシアとの間で全く平和的、友好的な形で調印された日魯通好条約(下田条約)は、当時自然に成立していた択捉島とウルップ島の間の国境をそのまま確認するものでした。それ以降も、北方四島が外国の領土となったことはありません。」そして、「第二次大戦末期の1945年8月9日、ソ連は、当時まだ有効であった日ソ中立条約に違反して対日参戦し、日本がポツダム宣言を受諾した後の同年8月28日から9月5日までの間に北方四島のすべてを占領しました。当時四島にはソ連人は一人もおらず、日本人は四島全体で約1万7千人が住んでいましたが、ソ連は1946年に四島を一方的に自国領に「編入」し、1949年までにすべての日本人を強制退去させました。それ以降、今日に至るまでソ連、ロシアによる不法占拠が続いています。」と述べられている。

【外務省】
北方領土問題とは?
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/hoppo/hoppo.html



戦後、北方領土問題については様々な議論が日露両国のあいだでなされてきたが、いまだに解決には至っていない。そのような中で、高齢化した元島民は憤怒の念を抑えきれずにいる。海洋国境線問題について、菅政権は毅然とした態度をとらず、「冷静に」を繰り返すばかりで、目の上のたんこぶのような対応しかしていないように見える。これらの事案を「煙たい」と思っているかどうかは分からないが、外交問題はついに内政問題になりつつあり、統治力や指導力に早くも疑問符が付きつつある。菅首相は「最小不幸社会」を目標とすると言っていたのだが、具体策も見えない。この国をどうしたいのだろう。政権交代という重要なイベントを成し遂げたことは、民主党政権の最大の成果であったと言えるが、そこで首相に戴いた鳩山-菅という政治家は、その地位に足る器の人間であったのだろうか。

【朝日新聞】
ロシア大統領が北方領土訪問 ソ連時代含め初
2010年11月1日12時42分
http://www.asahi.com/politics/update/1101/TKY201011010065.html?ref=reca

【読売新聞】
国後の元島民「悔し涙、怒りの涙」と雨中の抗議
2010年11月1日20時11分 読売新聞
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20101101-OYT1T00959.htm?from=nwla


【毎日新聞】
北方領土:「先人も怒りの涙」根室で猛抗議…露大統領訪問
2010年11月1日 21時12分(最終更新 11月1日 21時23分)

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