2009年9月27日日曜日

秋彼岸

シルバーウィークの連休中に、久しぶりに実家に帰った。夏休みはちょっと遊びに行っていたので、そうだ、お墓参りに暫く行ってないなと思い、新幹線に乗って故郷に帰った。特に何かあったわけではないが、母から連休は秋のお彼岸で、それで帰ってきたのかと言われたけれど、それは知らなかった。

お彼岸は、春と秋の2回、春分の日と秋分の日を挟んだ前後3日の計7日間を「彼岸」と呼ぶ。家に帰ると、遠くから太鼓を叩く音が聞こえてきた。丁度、家の近くの神社でお祭りをやっていたようだ。そういえば、僕が小学生のころは同学年の友達と一緒にお祭りで太鼓を叩いていたことを思い出した。そのころは祭りとなると地区ごとに山車が出て、町の中の彼方此方から太鼓の音が聞こえてきたものだった。

軽トラックの上にやぐらを組んで、大太鼓と小太鼓2つの3つの太鼓でトトトンと拍子を合わせて太鼓を鳴らすのだが、太鼓を叩くのは主に高学年の5年生か6年生で、低学年のころは山車を下から綱で引っ張る役で、山車に乗っている高学年がうらやましかった。山車に乗っていると歩かずに済んで楽ということもあったが、高いところから街中に太鼓の音を響かせる役はちょっとかっこよかった。

6年生になって、神社の集会場で太鼓を叩く練習をすることになった時はとてもうれしかった。そのころは、夕方より遅くに友達と集まってワイワイやることにちょっとドキドキしたりした。今の小学生の様に夜に塾に通うとか、そういうのが無かったので、少し遅くまでみんなと話をしたりすることがとても楽しかった。祭りの当日は太鼓を一生懸命叩いた。太鼓のたたきすぎでマメが出来てそれが潰れて痛かったけれど、街がワイワイ楽しい雰囲気の中で自分の叩く太鼓の音が遠くまで響いていることを思えば、太鼓をたたきたくて仕方なかった。

そんな昔のことを思い出したりしていたのだけど、今はそのお祭りも規模が小さくなってしまっていて、山車で街中の彼方此方を練り歩くこともなくなってしまったようだ。当時は、神社に行くと色々な屋台があって、そのお店を巡るのが凄く楽しかったのを思い出すのだが、今のお祭りは屋台もゼロで、近くの公園に自治会の人かなにかがちょっとした軽食を出す程度になってしまったようだ。

小さな商店街は、当時は色々なお店がにぎやかにあったのだが、最近はすすけた色に染まったり、シャッターの降りた店が多かったり、当時は中心通りと言われていたところが、今は見る影も無い。祭りとなると、町の彼方此方にちょうちんが出たり、縄が張られてカラフルな紙垂(しで)が並んだものだったけど、今は白い紙垂が張られているだけで、何となくさびしい気分になった。

商店街や自治会がしっかり機能していたならば、今も楽しいお祭りが続いていたのかもしれないが、それも時代の流れと言うものなのだろうか。郊外型の大きな店舗が幾つか出来て、近くの町にも便利な店ができるようになると、こういった小さな商店街は寂れてゆく一方になった。それは時代の流れで仕方の無いことだ。便利になる一方で、そういう部分がなくなることはつらい。ただ、問題はそういうコミュニティーの部分をどうやって残していくかと言うことだろう。商店街はそのつながりの中でコミュニティーに溶け込んで、お祭りや色々な行事の中心になってきた。今は、そういう郊外型のお店が生活の中でそれに取って代わったからには、彼らが地域に解けこんで、こういった地域社会のコミュニティーの中心となるべきだろう。遠くから車で来てもらって、安い商品だけ買って帰ってゆくというのは、余りにも無機質だ。特売で売上を伸ばすのも大切なのかもしれないけれど、それ以上に大切なものがあるはずだ。

実家は古い家なので、天井に染みなどがあって、昔は夜寝るときにその染みがちょっと怖かったのだけど、今となってはその染みも懐かしい。色々なかたちに見えて、色々なことを思い出した。そして、色々なことを思った。みんな元気かな。

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